トップ - 小説一覧 - 青い鳥はいない03 ←前へ   次へ→


「薫子、薫子! 早く起きな!」
 耳障りなおばさんの声で目が覚めた。
 その声を聞きたくなくて布団で耳をふさいだ。


  03.友達はキャサリン


「私もう出るから。朝ごはんは昨夜の残り適当に食べて。あと戸締まりと火の確認を忘れずに。遅刻しても知らないよ」
 一方的にお決まりの文句を言うとおばさんは部屋を出て行った。玄関からドアの閉まる音が聞こえてくるのを待って起き上がる。おばさんの香水のにおいが残っていて不快になった。
 二十歳で私を産んだおばさんは、見た目も実年齢もクラスメートの親の中では若くてきれいな部類に入っていて、昔はそれが密かな自慢だった。
 おばさんは私が中学生になってから本格的に仕事を始めて前よりも生き生きとしてきれいになった。でももう自慢じゃなくなった。私の母親でもなくなった。おばさんと似た者同士の、最近さっぱり顔を見ていないおじさんも私の父親じゃなくなった。
 二人ともただのおじさんとおばさんになった。
「親面すんな」
 私の呟きは部屋の中のぬいぐるみたちにしか届かなかった。


 家から五分も歩けば川沿いの道に出る。さらに五分歩くと昨日黒岩双葉と別れた橋に着く。
 いつもよりも早めに家を出たから登校時間のピークまではまだ大分あって同じ制服姿の人は反対側の道を歩いている人ともう一人くらいしか見当たらない。
「カオルンー!」
 語尾に星マークでもついていそうな、どこから出しているのかわからない高い声の持ち主が、昨日黒岩双葉と別れたのと同じその橋のところで手を振って待ち構えていた。
 今日は頭のてっぺんに作ったお団子に大きな白いレースのリボンが結ばれていた。前の席にいたらちょっと殺意がわく髪型だけど幸いなことに彼女は私の席と同じ列の一番後ろの席だった。
 カラフルな缶バッジだらけの鞄から飛び出ているクマ子という名前の小さなクマのぬいぐるみの耳にもお揃いのリボンがついている。
 今日も強烈な彼女、郷田希代子ことキャサリンは、黒岩双葉曰く孤独を愛する私の友達だった。
「おはよ。珍しいねこんな早い時間にいるの」
 気紛れなキャサリンは、今までも私のことをこうして待っていることがたまにあったけど、基本的に遅刻ぎりぎりで登校してくるし今日は私もいつもより早かったのに。
「おーはよっ。えへ、今日はキャサリンちょっと頑張っちゃった」
 ちなみにキャサリンというのは彼女の芸名だか何だかで私もそう呼ぶことを強要されている。
「ねーねーカオルン」
 この呼び方も私に拒否権はなかった。黒岩双葉とキャサリンはその強引さがよく似ている。
「キャサリン、黒岩くんと塾が一緒なんだけど」
 歩き出してすぐ、黒岩双葉のことを考えた途端キャサリンの口から名前が出てきた。
「昨日塾でカオルンとつきあうことになったからよろしくって挨拶されちゃった。本当にびっくりしちゃったんだから。カオルンにはちょっと裏切られた気分だけど黒岩くんに免じて許してあげる。キャサリンとの友情も忘れちゃだめだからねっ」
 つきあっていることは私と黒岩双葉だけの秘密だと当たり前のように思い込んでいた私は、黒岩双葉にとってはそれが当たり前でなかったことに気づくのに少し時間が必要だった。
「な、なんで黒岩くんがそんなことキャサリンに」
「それはキャサリンがカオルンの親友だからでしょ?」
 キャサリンの発言全てにつっこんでいるときりがないことに、キャサリンに声をかけられて三日目に気づきスルーするということを覚えた私は色々つっこみたいのを我慢する。
「カオルンみたいに恋愛なんて興味ないって子のほうが絶対さっさと彼氏作っちゃうと思ってた」
 キャサリンはリップクリームを塗りたくった薄い唇をとがらせた。
「でも、そんなに長くは続かないと思うから」
 というか長く続くわけがない。
「二人がずーっとラブラブでいられますようにってキャサリンがちゃんとお星様にお願いするから大丈夫だもん」
 拗ねているのか応援してくれているのかわからない。
「ねーねー、黒岩くんと仲良しになるのはいいけど、本当にキャサリンのこと忘れちゃだめだからね?」
 やけにキラキラした瞳が不安げに私を見る。キャサリンが一番言いたいのはそれなのだろう。
 三年生になって転校してきたキャサリンは、今は少しましになったほうだけどこの過度なキャラ作りのせいで最初の挨拶でクラス中にどん引きされた。
 リーダー格の新島さんに受け入れられなかったのも大きかった。四組最大派閥の新島さんのグループはもちろん、他のグループからも無視されるかやんわり、もしくははっきり拒絶されるかして最後に私のところへやってきた。そして私は無視も拒絶も特にしなかったからキャサリンは私といることにしたようだった。
 一人でいるのは耐えられないタイプらしいけどそれが理由だとしても、無視されても断られても諦めずに次から次へと声をかけられるキャサリンは実は相当強い子だと思う。私がいなかったとしてもちゃんとたくましくやっていたはずだ。
 キャサリンも一応声をかけるグループは選んでいたらしく、グループからあぶれていた私を最後まで避けていたところもちゃっかりしている。
 私といるくらいだったら一人でいるほうがマシと思われなかったのはよかったのか悪かったのか。ペアを作れとか言われたときにキャサリンがすぐに私のところに来てくれるのは正直楽でいい。トイレについてこられるのはいまだに慣れないけど。
「別に忘れないよ。キャサリンのほうが彼氏とかできたら私のことそっちのけにしそう」
「キャサリンは友情も大切にするよっ」
 うそこけ。この間休み時間に「やっぱり友情よりも恋だよねっ」と何かの雑誌を見ながら言っていたのを私は覚えているぞ。
 キャサリンの白々しい友情アピールは聞かなかったことにした。
「それでねー、キャサリンもカオルンのことよろしくお願いしますって黒岩くんに言ったんだぁ」
「へー」
 いつものように大げさな動きでキャサリンが話すのを適当に聞いていたら後ろから嫌な声が聞こえてきた。
「薫子ー!」
「あ、黒岩くんだっ」
 聞こえないふりをするつもりだったのにキャサリンが振り返って立ち止まってしまうから、仕方なく私も足を止めた。
「おーはよっ」
 キャサリンは右手で作ったピースサインを振りかぶってウィンクした目元でびしっと止めた。
 意味のわからない決めポーズ付きで挨拶されても黒岩双葉は無駄にさわやかな笑顔を崩さなかった。
「おはよう! 薫子もおはよう!」
「……おはよう」
 私も渋々挨拶を返した。
「黒岩くん、いつもこんなに早いの?」
「いや、早めに家出て薫子のこと待ってようと思ったら、すでに先に行ってたのが見えたから慌てて追いかけてきた」
 額の汗を拭いながら黒岩双葉がキャサリンに答える。
「え、じゃあもしかしてキャサリンお邪魔? 先に行ったほうがいい?」
 普段遣わない気をどうしてここで遣おうとするんだ。大体邪魔なのはキャサリンじゃなくて黒岩双葉だ。私はキャサリンの腕をつかんだ。
「全然邪魔じゃないから行かないで」
 朝から黒岩双葉と二人で登校なんて冗談じゃない。
「うん、三人で行こ」
 黒岩双葉も頷いたら不安そうだったキャサリンの表情が一気に明るくなる。
「よかったぁ」
 キャサリンは、キャサリンがこうでありたいと思っている誰もが振り返るような美少女ではないかもしれないけど、時々ドキッとするような表情を浮かべる。今の笑顔もきれい、とは違うけどとても魅力的な笑顔だった。
「ん? カオルン、どうしたの?」
 キャサリンの顔を見つめていたら首を傾げられた。
「あ、いや、ちょっと見惚れてた」
「や、やだあカオルンってばっ」
 うっかり正直に答えるとキャサリンは両手で顔を覆いながら体をくねらせた。



 やっぱり昨日の私はどうかしていたとしか思えない。タイムマシンがあったらすぐに止めに行くところだった。後悔先に立たずとはまさにこのこと。
 自慢じゃないけど私は四組女子の余りものコンビの片割れだ。たとえ間違えて好きになってしまったとしてもつきあうことにしたなんて普通は周りにひた隠しにする。はずなのに。
「カオルンって呼び方もかわいいな」
「でしょでしょ? キャサリンが考えたんだけど黒岩くんなら特別に呼んでもいいよっ」
 私の右側には黒岩双葉、左側にはキャサリンが、さっきからそれぞれ教卓に寄りかかりながら頭の上で勝手な話をしている。
「普通に苗字で呼んでよ」
 私のささやかな主張が二人に聞き入れられることはない。
 黒岩双葉は一番廊下側の一番前の席で同じく一番前の席のわたしもそんなに苦なく黒岩双葉のことを見られる。でも見ていることに気づかれていると知ったから、今日は黒岩双葉のほうは見ないようにしてその存在も忘れようと努めていた。それにキャサリンは相変わらず授業の間の休み時間にもしょっちゅう私のところに来るけど黒岩双葉は今まで通りで、わざわざ私に話しかけてきたりすることはなかったから完全に油断してていた。
 だから給食の時間が終わって、いつもなら騒がしいグループに交じっている黒岩双葉がキャサリンとほぼ同時に私のところにやって来たときは悪夢でも見ているのかと思った。
 キャサリンも黒岩双葉もクラスメートの視線が気にならないのか。
「今日も一緒に帰ろ」
「キャサリンも一緒ならいいよ」
 無神経な黒岩双葉に、しかめたくなる顔をどうにか抑えながら答えた。
「あのねーカオルン」
 何故かキャサリンに盛大にため息をつかれた。
「確かにキャサリンとの友情は忘れないでほしいし、そう言ってもらえるのはすっごく嬉しいよ。でもね、恋愛も大切にしなきゃだめっ」
 びしっと人差し指を突きつけられる。
「いくらキャサリンでも、そこまで二人の時間は邪魔できないよっ」
「だから邪魔じゃ」
「もしかしてカオルン、黒岩くんと二人きりになるのが恥ずかしいの?」
 キャサリンの見当外れな指摘に、何故か顔が一気に熱くなった。
「え、マジ?」
「ちがっ」
 黒岩双葉にまで変な勘違いをされそうになって慌てた。
「カオルンも意外とかわいいとこあるんだねっ」
「だから違う――」
「え、うそ、つきあってるの?」
 ひそめられた声がやけにはっきりと耳に飛び込んできた。
 教室にいるのは私たちだけじゃない。私たちを気にしていたら会話の内容なんて簡単にわかる。黒岩双葉が加わったせいで、いつもなら何でもないクラスの一光景であるはずの教卓付近には、いつもより確実に多くの視線が集まっていた。
 別にもうこそこそする必要はないんだ。二人の間の秘密で通すという私の予定は黒岩双葉のせいでなかったことになってしまったし、変な好奇心を向けられたりして注目されるのは嫌だけど、黒岩双葉と私、つきあって評価が下がるのはこれ以上下がる余地のない私じゃなくてそんな私とつきあっている黒岩双葉のほう。私は、一時期新島さんも好きだったと噂の黒岩双葉とつきあっているということで羨望の的となってもおかしくないくらいだ。もし陰口を言われたってそれはただのやっかみ。
 好きでもないのにつきあうのだから、それを黒岩双葉を不幸のどん底に突き落とすことだけに使うのはもったいない。周知の事実にしてふってやったら黒岩双葉にさらなるダメージを与えられるかもしれないし。
「あ、何か悪巧みしてる顔」
 キャサリンに頬をつつかれて我に返った。
「そんな顔してない」
「えーしてたよぉ。ね、黒岩くん」
「うん、ぶほっ……何か変な顔、くっくっくっ、してた」
 黒岩双葉はふき出して肩を震わせながら頷いた。人の顔でそんなに笑うなんて本当に失礼な奴。
「……帰り、一緒でもいいけど」
 黒岩双葉に笑われた挙句こんなことを言わないといけないこの屈辱感、絶対に何倍にもして返してやる。
「やった! ……ぶふっ」
「黒岩くんよかったねっ」
 しつこく笑う黒岩双葉と何も知らないのん気なキャサリンから目を逸らして、机を睨んだ。


←前へ   次へ→


トップ - 小説一覧 - 青い鳥はいない03