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  第3話 タマになった日

 後悔はしない。
 これがあたし、由良木善美のモットー。


「あ〜、今日もあったかいね」
「あっそ」
 今日からめでたく結城くんの犬になったあたしは、昼休みの屋上で結城くんと並んで座っていた。
「それにしても二宮さんがお休みなんて残念だな。挨拶したかったのに」
 でもそのおかげで今は結城くんを一人占めできるんだけど。
「あっそ」
 結城くんは相変わらず愛想がないけど、あまり気にしないことにした。そこが結城くんのかっこよさの一つでもあるし。
「あ、ねえ、何か飲み物いる? それとも肩揉んであげよっか」
「いらない」
 結城くんはフェンスに寄り掛かりながら面倒臭そうに言った。
「あたしこう見えてもマッサージうまいんだよ。お母さんに鍛えられたから」
「それよりも何であんたがここにいるわけ」
 あたしは満面の笑みを浮かべて答えた。
「だって結城くんが勝手にしろって言ったんじゃない。だからそうしたの」
「……あっそ」
 もうどうでもいいって感じで結城くんは空を見上げた。あたしもつられて上を向く。
「夏になったら暑くて屋上には来られないね」
 結城くんは空を見上げたまま何も答えてくれない。
 今度は期待せずに話しかける。
「空っていいよね。あたし好きだなあ」
 そうしたら思いもかけず、結城くんがあたしのほうに顔を向けて訊いてきた。
「なんで」
「え、ほら、空見てると嫌なこととか不安なこととか、全部吹き飛んじゃいそうな気がしない?」
「俺は」
 結城くんはまた空を仰いだ。
「大嫌いだ」
 心なしか結城くんの表情が険しくなった気がして、あたしはどうしていいかわからなくなった。
 何か、嫌なことでもあったのかな。
 あたしは結城くんの力になれないかな。
 真剣にそう思ったのに。
 なのに結城くんは。
「俺はあんたが嫌い。あんたが好きなものも嫌い」
 平気な顔して人が傷つくようなことを口に出す。
「さてと」
 結城くんはゆっくりと立ち上がった。
 あたしは、不覚にも目にたまってしまった涙がこぼれないように上目で見ながら、扉のほうへ向かおうとしている結城くんの背中に声をかけた。
「性格悪いって言われない?」
 結城くんは振り向いてニッと笑った。
「よく言われる」
 扉の向こうに消えていった結城くんに、放心状態のあたし。
 初めて見た結城くんの笑顔に涙はすぐに引っ込んでしまった。
「……やっぱ、かっこいい……」



「う〜ん」
 その夜。
 あたしは机に向かってうなっていた。
 理由はもちろん結城くん。
「こわいのかな……」
 頬杖をつきながら呟く。
「こわいのかも……」
 思っているよりも本気で結城くんのことを好きになりそうで。
 もうやめてしまおうか。
 今ならまだ引き返せる。
 本気になったらふられたとき、どれだけ傷つくかは目に見えている。
 でも、このまま何もしないで諦めるのも、いやだ。
「あ〜、もう!」
 机に突っ伏す。
 こういうとき、いつも思い出す。おじいちゃんの言葉。
『何もしないで後悔するな』
 口癖のように言っていた。これがあたしの原点のような気がする。
 ああ、そうだ。
 何もしないで後悔するなら、自分ができる精一杯のことをして燃え尽きたほうがいい。
 何回もその言葉を心の中で繰り返す。
 悩み必要なんてどこにもない。



「あれ、二宮さんは? 今日は休みじゃないよね」
 昨日と同じように屋上で空を眺めていた結城くんに声をかけた。
 何もない広い灰色のコンクリートの上で、ぼんやり空を見上げている美少年。
 かなりいい構図だなと、どうでもいいことを考えてしまう。
「ああ、まだ飯、食ってんじゃないの」
 結城くんがあくびをしながら言った。
 結城くんの右隣に腰を下ろす。
「結城くんていつも眠そうだね。コーヒーでも買ってこようか?」
「ああ、いい。タマに頼んどいたから」
「タマ?」
 結城くんはやっぱり眠そうな顔で。
「犬はタマだろ」
 ああ、二宮さんのことか。でも。
「普通タマは猫で、犬はポチとかじゃ……」
「そうだっけ?」
 結城くんの性格はいまいちわからない。
 わざとなのか天然なのか。
 そのとき、正面の扉が開いた。
「二宮さん」
 左手に缶を持った二宮さんが、わけのわからないといった顔でその場に立ち尽くした。
 よく考えたら二宮さんと話すのは初めてだし、こんな状況なのであたしはかなり緊張して、二宮さんのもとに駆け寄った。
「――と、言うわけで」
 あたしはとりあえず、これまでの経緯をしどろもどろになりながら説明した。
「これからよろしくね」
 二宮さんは戸惑ったように俯いたまま。
 う〜ん、気まずい。
「何やってんの」
 いつの間にか後ろに来ていた結城くんがあたしの肩越しに声をかけた。
「あ、いや、ちょっと挨拶を」
「あっそ」
 結城くんは二宮さんから缶を受け取り、そのまま校舎へ戻ってしまった。
 再び重い空気が流れる。
 やっぱりこういう子って苦手だ。
「ま、とにかく」
 あたしは明るく言った。
「仲良くしようね」


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