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 ドキドキパニック in 更衣室

「お、神弟、何してんのこんなところで。久しぶりだけど元気してた?」
 放課後、体育教官室の前をうろうろしていた孝太郎に声をかけてきたのは、よく知っている体育教師の園部だった。
 三十代半ばの豪快な性格の彼女は、孝太郎の背中を勢いよく叩きながら無人だった体育教官室に招き入れる。
「で、あたしに何か相談?」
「いえ。先生って六時間目はうちのクラスの女子の授業でしたよね」
「うん。それがどうした?」
「授業が終わって大分経ってるのに、坂口伊織がまだ戻ってきてないんですけど」
「坂口?」
 机に向かって何かの資料を探しながら孝太郎の話に耳を傾けていた彼女は、椅子ごとぐるりと孝太郎のほうに体を向けた。
「あー、今日はプールで十本泳がせて終わりにしたんだけど、坂口が最後まで残って。あの子泳げないから。まーでもこの後授業もないし、頑張って必死にへなちょこクロールしてたから、せっかくだし十本ちゃんと泳ぎ切らせてあげようと」
「それで」
 妙に苛立ったような孝太郎を怪訝に思いながら園部は続けた。
「色々アドバイスしてみたんだけど、なかなかうまくいかなくて、それでも何とか泳ぎ切ったのよ。感動の瞬間だったわあれは。それで坂口がプールから上がったのを見届けて、更衣室の鍵頼んであたしは先に戻ってきたの」
 そこまで言って壁にかかっている時計に視線を向ける。
「そろそろ着替え終わって鍵を持って来てもいいはずなんだけどね」
「……様子見てきます」
「あ、そうしてくれる? 相当へばってたからちょっと心配だったのよね」
 再び机に向かった園部は、ふと思い出したように、軽く頭を下げて出て行こうとしていた孝太郎を呼び止めた。
「あんた、坂口に何か用でもあるの?」
「いえ、いつまで経っても戻ってこないから心配になって」
 孝太郎の言葉に思わず固まった彼女は、静かに閉まったドアをしばらく見つめていた。
 それから大きく息を吐き出す。
「坂口ってばやっかいな奴に気に入られちゃって。……あ、神弟、行かせちゃまずかったかな」

 園部詩子と言えば、この高校でも一、二を争うほどのスパルタ教師で、そのわりには生徒から好かれる教師でもあった。
 孝太郎も授業を受け持たれたことがあるし、特別悪い感情は抱いていない。しかし今回のことは別だ。
(坂口さんに何かあったらどうすんだ)
 自然と急ぐ足をプールに隣接している古びた小さな直方体の建物の前で止めた。二つ並んだ戸のうち右側が女子更衣室だった。
 孝太郎はノックをすることもなく戸に手をかけて一気に引いた。更衣室にこもっていたプール独特の、塩素や水のにおいを感じながら孝太郎は僅かに目を細めた。
 求めていた少女は、湿っぽく明かりがついていても妙に薄暗い室内の奥で、棚に寄り掛かるように立って孝太郎のほうに顔を向けていた。
(坂口さん)
 肩に大きなタオルを羽織っていてよく見えないが、まだ水着のままのようだった。
 着替え中だったらよかったのにという邪な思いは少しも顔に出さずに後ろで戸を閉める。
「あ、れ、神くん、なんで」
 少し遅れて小さな声と大きく見開かれた目が孝太郎に向けられた。
「坂口さんが遅いから、園部先生に頼まれて様子を見に」
「あ、ごめん、あの、ちょっと疲れて、休んでて」
 そう答えた伊織は胸元でタオルをきつく握り締めたまま俯いた。
 しばらくしてから出て行く気配のない孝太郎に気づいて、恐る恐る顔を上げる。
「あの」
「何?」
「着替え、たいんだけど」
「うん」
 何故か自分のほうに歩み寄る孝太郎に、伊織の体が緊張したのがわかった。
 孝太郎が伊織の前まで来ると、伊織は慌ててすのこの上で向きを変え孝太郎に背中を見せる。警戒しているようで無防備な背中。
(このタオル、取ったら水着一枚)
「タオルに青虫ついてる」
 よからぬことを考えたのと同時に勝手に動いた自分の口に、思わず苦笑しそうになる。
「やっ」
 小さな悲鳴と共に伊織の肩にかけてあったタオルがはらりと、濡れた緑色の床に落ちた。
「あ、ごめん、冗談だったんだけど」
「え?」
 伊織は目の前の棚に手をかけ顔だけ僅かに孝太郎のほうに向けた。しかしすぐに自分の状況に気づいたのか俯いてしまう。
「あー、タオル濡れちゃったね。他の持ってる?」
 孝太郎は落ちたタオルを拾い上げ、軽くはたいてとりあえず空いている近くの棚の中に置いた。
「う、うん」
 小さく頷いた伊織はきっと今すぐ孝太郎にこの場からいなくなってほしくてたまらないはずなのに、それを言えずに震えている。
(だから、余計に苛めたくなる)
 孝太郎は伊織の肩にそっと両手を置いた。
「……っ」
 声にならない悲鳴を上げて、伊織は今にも飛び上がりそうなった。
 少し触れただけで大袈裟すぎるほどの反応をする伊織に孝太郎の悪戯心が刺激される。孝太郎は左手の親指を水着の下に入れ、少しだけ肩からずらしてみた。伊織は凍りついたように動かない。いや、動けないのかと思い直す。
「じ、神、くん」
「何?」
「あ、あの、手」
「ん?」
 孝太郎は聞こえないふりをして、濡れた髪が張り付く伊織の首元に顔を近づけた。
「て、手を……っ」
 孝太郎が伊織の泣き出しそうな声にも興奮を覚えると知ったら、伊織は声も出せずに震えるのだろうか。
(きっと、顔を真っ赤にして俯いて)
 その顔を無理やり上に向けて。
(ちゅうとかしたら、多分泣くんだろうな)
 余計なことを考えながら。
「手が、どうかした?」
 孝太郎は伊織の耳元に唇を寄せて、囁くように意地悪く聞き返した。
 しばらく待っても小さく震えるだけで何も答えられない伊織に、孝太郎は苦笑する。伊織にとって自分はまだ安心して全てを預けられる相手ではなく、身も心も許せない相手なのだ。この状況で安心しろというのも無理な話だが。
 水着を僅かにずらしたまま孝太郎の人差し指が伊織の左肩に触れる。伊織は嵐が過ぎるのを待つようにじっと恐怖や恥ずかしさの入り混じった感情を抱えながら孝太郎の悪戯に耐えていた。目をきつく閉じて視覚からの情報を全て遮断した結果、肩に置かれた孝太郎の手や、くすぐるように肩の上を動く指をより強く意識する羽目になった。
 孝太郎が何をしたいのか伊織にはわからない。制服に着替えた後だったらまだしも、水着のままというのが伊織の不安感をどこまでも煽る。
 胸の膨らみを見下ろしていた孝太郎は棚の底板を掴むようにしている伊織の両手に目をやる。余程力が入っているのか爪の先からは色が失われていた。視線はすぐに胸の膨らみに戻る。背中同様胸元も無防備に孝太郎の視線に晒されていた。背後に立つ孝太郎の目が自分の胸元に向けられているなどと伊織は思いもしない。
 水着をそれ以上ずらすことも濡れた髪をかき上げて首筋に吸い付くこともできない孝太郎は一旦肩から手を離し、それに伊織が安堵する前に衝動に任せて伊織の肩を後ろから抱き締めた。
「ひゃ」
 驚いた伊織の口から小さな声が零れる。
 伊織に触れて上がった孝太郎の体温には冷えた伊織の体は心地いい。
「神くん、濡れちゃう、制服」
「ん、平気。すぐ乾くから」
 離れてほしいという遠回しな伊織の訴えには気づかないふりをした。
 伊織の震えは止まらない。孝太郎はそれを止めるようにさらにきつく抱き締める。自分が女として見られていることを理解していない伊織は、それでも孝太郎の腕に込められている欲をどこかで感じ取っているのかもしれない。
 これでも我慢はしているつもりだと、誰にともなく孝太郎は心の中で言い訳する。頭の中で何度伊織を泣かせるような目にあわせたかわからない。それをこんな状況になっても実行していない自分をむしろ褒めたいくらいだった。
 普段伊織を見て何を考えているのか、時々伊織に全部ぶちまけてしまいたい衝動に駆られる。
「坂口さん」
「な、何……?」
 震える声で、それでも伊織は確かに孝太郎に答える。拒絶されず受け入れられる心地よさが孝太郎を包み込んでいった。
「いつまで待てばいいですか」
「待つって、何、を」
「坂口さんが、今考えたこと」
 伊織にも年相応の知識があるのはわかっている。ただそれを自分と結び付けようとしないだけ。
 今のこの状況ではさすがに結び付けざるを得ないのか、伊織の肩がもう一度びくりと大きく震えた。
(まずい)
 伊織の震えを感じながら孝太郎の中に徐々に焦りが広がっていく。
 伊織の肩を抱き締めている両腕は、磁石のようにそこに吸いついて離れようとしない。伊織がもっと激しく抵抗すればすぐに腕を解くのに、伊織は小さく震えるだけで孝太郎の腕を払いのけようとする気配はなかった。
 恐怖で動けないだけだと頭のどこかではわかっていたが、もしかしたら怖がりながらも孝太郎の行為を受け入れているのかもしれないと都合のいいことを考える自分もいた。

 どこかで止めなければいけない。でももう少しだけ。

 そんな葛藤を繰り返し、孝太郎は目の前の誘惑に負けた。
 無理やり伊織の肩から腕を外して、普段は見ることのない剥き出しの二の腕を掴んで棚のほうを向いていた伊織の体を孝太郎のほうに向けさせた。
 抵抗しない代わりに、体を少しでも隠すように握り拳を作った両手を胸の前に構えた伊織は、目をきつく閉じて俯き、目の前の現実からの逃避を図っていた。
「坂口さん」
 柔らかい二の腕の感触にささやかな感動を覚えながら孝太郎が呼びかけても伊織は首を僅かに横に振るだけ。孝太郎はどうすれば伊織の緊張が解けるか考える。孝太郎の存在自体が伊織に緊張感を与えているのは承知しているがいい加減慣れてほしいと思い、そこから荒療治という新たな言い訳が浮かぶ。
 身を屈めて伊織の額に唇を軽く押し付けた。同時に伊織の体がさらに強張る。
「坂口さん、顔上げて」
 伊織の反応を待っていると、しばらくしてゆっくりと頭が動いた。
 孝太郎を見上げたその目は涙で濡れていて嗜虐心を大いに煽られる。
 やさしく、やさしく。必死に自分にそう言い聞かせないと乱暴に何もかも奪ってしまいそうだった。
 もう一度額に唇を落とした。
「神、くん」
 小さく動く唇もふさぐ。触れるだけ。色々な衝動を押し殺して唇を離す。
「好き」
 吐き出そうと思った言葉を自分のものではない声で紡がれて孝太郎は目を見開いた。至近距離で囁かれたその言葉を、すぐに理解できない。
「え……?」
 空耳に違いない。この状況でそんなに都合のいい幻聴が聞こえる自分のおめでたさに呆れながら、孝太郎は自分自身にそう言い聞かせ表面上は冷静に聞き返す。
「何?」
「好き」
 伊織の目はしっかりと孝太郎を捉えていた。僅かに揺れながらも必死に孝太郎を見つめていた。都合のいい幻聴ではないと、その目を見てやっと孝太郎は悟る。
「好きだから、嫌じゃない」
 今のこの状況が怖くてたまらないはずの伊織が孝太郎を傷つけないために口にした言葉を噛み締めながら、孝太郎は伊織に顔を寄せた。
「……ありがとう。俺も好き」
 額に頬にまぶたに、何度も唇を落としても、伊織は反射的に閉じた目を開ける度に孝太郎を見つめた。孝太郎がする全てを受け入れるように。
「キス、してもいいですか」
 震えそうになる声で問うと、伊織はやっとぎこちない笑みを浮かべた。
「さっきから、いっぱいしてる」
「だから、もっと」
 伊織の頭が縦に動こうとする気配を察してそれを遮るように強引に唇を重ねた。
 やさしくなんて、とてもできないと痛感する。伊織の体温は孝太郎から余裕も何もかも奪ってしまう。全て奪われて空っぽになった頭の中を、伊織で満たされる。
 思う存分味わい、それでも名残惜しく唇を離すと、伊織の熱っぽい目とぶつかった。
「ごめん」
 これから起こることに対しての謝罪を思わず口にし、孝太郎は伊織の背に腕を回して抱き締めた。
 水着一枚しか肌を遮るものがない伊織の体が腕の中にあった。





「っていう夢を見たんだよちくしょう」
 枕に顔を埋めながら本気で悔しがる弟を横目で見て宗太郎は手元の雑誌に視線を戻した。
「どっからが夢」
 最初は今日あったことを聞いていたはずが、いつの間にか夢の話になっていた。
「肩を抱き締めたところまでは現実」
 水着姿の伊織を目に焼き付けながら、結局無理やり腕を伊織の肩から引きはがし笑顔で誤魔化して更衣室を出た自分の努力を思い出すと泣けてくる。
「ならどうでもいい」
 宗太郎が真剣に聞いてしまった自分に苛立ちながら投げやりに返すと、孝太郎はベッドの上で身を起こし盛大にため息をついた。
「どうせ夢なら我慢しないでさっさと襲えばよかった。どうして気づかなかったんだろう」
 物騒な呟きは宗太郎に鼻先で笑い飛ばされる。
 家庭教師のアルバイトが急に休みになり、早めの夕食の後ベッドに寝転び水着姿の伊織を思い出していたら、いつの間にか眠っていてあんな夢を見たのだ。これからというところで目を覚ました孝太郎は夢のような現実が本当に夢だった悔しさを少しでも分かち合おうと、眠る前にはいなかった宗太郎に今日の報告も兼ねて話したのだが宗太郎は鼻で笑うだけだった。
「宗太郎だったらどうする」
 孝太郎と同じ状況になったら。
 意味のない質問に意味のない想像をせずにいられないのは伊織不足だからと思いながら宗太郎は雑誌をめくる手を止めずに答えた。
「さっさと更衣室を出る。その前に更衣室に入らない」
 想像だけで馬鹿みたいにたくさん描いた伊織の体を、水着一枚剥ぐだけで見られるのならせめて上半身だけでも見てやると思わないこともないが、どうせ生殺しになることに変わりはないのだから孝太郎のように自らの傷口を広げるようなことをする気にはなれないない。というのは建前で、実際に水着姿の伊織がすぐそこにいたら何をするかは自分でもわからなかった。
「それが無理なのは宗太郎もわかってるくせに」
 孝太郎は先程の仕返しとばかりにせせら笑ったが案の定宗太郎の反応はなく、再び大きなため息をついて枕を軽く殴った。
「ヌードモデル、やっぱやってもらおうか」
 宗太郎の手を止めることに成功し、孝太郎は殴った枕を抱えた。
 伊織にヌードモデルをやらせる方法ならいくらでもある。自分が悪者になるような方法は除外されるが伊織相手ならうまく説得する自信はあった。今までそれをしなかったのはわざわざ忍耐力が試されるような状況にしたくなかったからだ。
 しかし今は目先の欲のほうが強くなっている。伊織の体を見られるのなら使える手は使う。我慢だの何だのはどうにかなる。そんな思考が孝太郎の理性を追いやり始めていた。
「坂口さんの体見たい。見たい見たい」
「気持ち悪いんだよあほ」
 子供のように駄々をこね始めた弟を一蹴すると、宗太郎は雑誌を閉じた。
「そんなに見たいなら本人に直接頼め」
「坂口さん、うまく言いくるめれば見せてくれそうなんだよなあ。無理やりでもいいかなってちょっと思ってるけど」
 孝太郎の思考は大分危ないほうへ向かっているようだった。どうせ一時のことだとわかっていたから孝太郎のことは放置し、宗太郎はベッドの下にもぐり込みかけていた、落書き帳代わりにしていた無地のノートに手を伸ばした。
 ノートを開くとテーブルの上に転がっていたシャーペンを紙に滑らせ始めた。
 孝太郎が縦に抱えた枕に顔を埋めていかがわしい想像を繰り広げている間に宗太郎は水着姿の伊織を紙の上に写していく。
「貸して」
 全身を描いて眺めていた宗太郎に向かって、一通り想像し終わったらしい孝太郎が手を伸ばしていた。宗太郎はノートとシャーペンを孝太郎に渡す。
「ここはもうちょっと、こう……」
 実物を見た孝太郎の手によって体のラインが修正される。正面からじっくりと見ることはできなかったがそれでもしっかり目に焼き付けてきた伊織と、寸分違わないものになったことに孝太郎は満足し頷いた。
「返せ」
 宗太郎に急かされ孝太郎は十分に見ていないノートを渋々宗太郎に戻した。
「宗太郎も見たくなっただろ」
「誰も見たくないなんて言ってない」
 宗太郎は紙の上の伊織から目を逸らさずに答える。
 少なくとも孝太郎と同じくらいには見たくてたまらない。
「見るだけで済むなら、今すぐ電話して頼むんだけど」
 孝太郎の言葉に宗太郎は顔を上げた。
「二人きりじゃなければどうにかなるんじゃないの」
 三人でならどちらかが抑え役になれる。お互いの存在が疎ましくて仕方がないのにどこかで頼り合っているのを自嘲しながら宗太郎は言った。
「そうだけど、どうにかならなかった場合が悲惨すぎる」
 一対一での暴走でも酷い結果になることはわかっている。二人揃って暴走したらどうなるか、想像ならいくらでもするが現実になったら目も当てられない。
「無理やりでもいいとか言ってたくせに」
「あれは体を見るだけの話だから」
 どちらともなくため息をついて沈黙が流れる。
 宗太郎は水着姿の伊織の隣のページに、しばらく描いていなかった裸体の伊織を描き始めた。
 泣きそうな顔で体を隠している伊織がすぐにでき上がる。
「裸の写真なんて絶対撮らせてくれないだろうな。普通の写真でも嫌がるから」
 宗太郎が顔を上げると孝太郎がベッドから身を乗り出すようにして宗太郎の手元を覗き込んでいた。ただの落書きでも目をひく宗太郎の、写真のような緻密な絵を求めて孝太郎はもし伊織の裸を見ることができたら宗太郎に本気で描いた絵を貰う約束をすでにしていた。
「宗太郎が描いた坂口さんの裸の絵、見せたらどんな反応するか見てみたい」
 宗太郎の絵を宝物にしている伊織の恥ずかしさと嬉しさと、もしかしたら怒りが混在した表情を思い浮かべて孝太郎は笑った。
「見せたら面白そう」
「見せるなら俺のいるとこで」
「ん、わかってる」
 美術の時間に描いた伊織の絵を、孝太郎から伊織に渡すよう頼んだのは宗太郎自身だったが、孝太郎が宗太郎の絵を見て伊織がどんな表情でどんな言葉を口にしたのかを嫌がらせのように実に仔細に説明したせいで、それを実際に目にして耳にすることができなかった悔しさを必要以上に抱くこととなった。その後孝太郎のふりをして伊織と話したときにその溜飲は幾分か下げられたが。
「あー、会いたい」
 孝太郎は枕に額を押し付け、更衣室でせっかく掴まえた伊織を離してしまったことに対する後悔に悶える。もっと触れればよかった。もっと抱き締めればよかった。夢でだけ叶っても意味がない。
「明日の朝にはまた会えるだろ」
「朝まで待てない」
「だったら今から会いに行けば」
 宗太郎の言葉に孝太郎は勢いよく顔を上げ、そして下げた。
「今会いに行ったってどうせちょっと話しただけで帰って余計に耐えられなくなる」
 孝太郎のうっとうしさが許容範囲を超えたため宗太郎は返答するのをやめ、シャーペンの先から生まれる伊織だけを自らの世界に入れた。
 孝太郎は天井を見上げ更衣室での伊織を鮮明に思い返し見ることのできなかった水着の下に思いを馳せ、次の瞬間妙な罪悪感に襲われてその日何度目かの深いため息をついた。

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