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 三月十四日

 バレンタインデーはほっぺにちゅう。
 ホワイトデーはお返しに何をあげよう。
 そんなことを考えている時間が、怖いくらいに幸せだ。



「本人に直接訊けば」

 昼休み、廊下でばったり会った渉に尋ねてみたら、もの凄く嫌そうな顔でそう返された。
「宗太郎も同じこと言ってる」
「じゃあそれでいいじゃん。言っておくけど俺はもう何もしないからな」
「渉に何かしてくれなんて頼んだこと、あったっけ」
「うわ、何それ、ひどっ。直接言わなくても明らかに毎回そういうプレッシャーをかけてくるのは誰よ。つうかお前らはあれだ、坂口伊織が俺に惚れたらどうしようとか、そういう心配はしないのか」
「ありえない」
 ことではないな、と思っても口には絶対に出さない。
「その自信はどっからくるんだ。大体俺が坂口伊織に惚れるってことも」
 自分で言ったそばから顔をしかめる。
「いや、それはもっとありえないな、うん」
 渉は一人で納得して頷いた。腹が立たないわけじゃないけど、俺にとってはそのほうが都合がいいから黙っている。たとえ坂口さんが渉に対して何らかの好意を抱いても、渉がそれに応えることはないと確信しているし、坂口さんが抱くかもしれない好意もきっと些細なものだろうから。希望的観測。
「渉には、感謝してる。色々と」
「だったら態度でも示してよ」
「坂口さんのことで頼りになるの、渉しかいないし」
「……啓太でも使えば」
「啓太郎は、ちょっとまずいかな」
「あっそ。じゃ、そろそろ行くわ。坂口伊織のこと、あんま苛めんなよ。すぐ泣きそうだし」
「大きなお世話」
 渉の後ろ姿を見送ってまた振り出し。
 何をあげても坂口さんは困るけど喜んでくれるんだろうなと思った。





「今日坂口さんちに行ってもいい?」
 下駄箱の前、上履きをしまっていた坂口さんを慌てて呼び止める。
 言葉に出ない代わりに顔に何でも出る坂口さんは一瞬あからさまに嫌だという顔をした。そういう正直なところも好きだけど、できればこういうときは嘘でもいいから少しは嬉しそうな顔をしてほしい。
「……じゃあ、うちまで来てくれる?」
「なんで……?」
「あ、いや、今日はホワイトデーなのでこの間のお返しをしたいな、と」
「え、や、いらない。別に」
 たまにはっきり言ってくれるところも好きです。好きだけど、やっぱりそれは傷つくよ、坂口さん。
「わたし、結局何もあげてない、し」
 何かを思い出したのか、急に顔が赤くなっていく。
「うちに来てくれないなら、坂口さんちまでついてく」
 坂口さんは何か言いたそうな顔で俺を見たけど、結局そのまま頷いた。



 何とか家に連れてくることには成功したけど、本題はこれから。
 アクセサリーはすんなり受け取ってもらえそうにないし、お菓子はいつもあげているし、結局何をあげるか決まらなくて宗太郎と渉の意見を取り入れることにした。
「と言うわけで坂口さんのお願いを一つ叶えてあげたいなと思うのですが」
 俯いてテーブルを見つめていた坂口さんがびくっと反応する。宗太郎はそれを見て顔をしかめた。
「あの、別に」
「言うまで帰さない」
 色々な感情を誤魔化して不機嫌そうにしている宗太郎の一言に、坂口さんは救いを求めるように俺を見た。
「言うまで帰さないよ」
 笑顔で言うと坂口さんは諦めたのかまた俯いた。
「何でも、いいの?」
「俺たちにできることなら、何でも」


「……しゅ」
「ん?」
 ずっと黙って考え込んでいた坂口さんがやっと口を開いた。
「握手、して、ください」
 坂口さんの考えていることはわかるようでわからない。少しだけ上げた顔が真っ赤になっているから、冗談でも何でもなくて本気でそう言っているんだろう。
「だめ……?」
 恥ずかしさからか潤んだ目で言われて断れるわけがないし断る理由もない。
「それじゃ」
 俺が手を差し出そうとするよりも先に宗太郎の右手が坂口さんの前に。坂口さんは遠慮がちに手を出して、軽く合わせるように宗太郎の手に触れてすぐに離れた。
 たかが握手なのに、余程緊張しているのか手が震えていた。
「どうぞ」
 目の前の俺の右手をしばらく見つめてから、坂口さんは手を伸ばした。
 触れたてのひらは少し湿っていて冷たかった。握手と言うよりも、本当に僅かにてのひらを合わせただけの行為。坂口さんの緊張がこっちにも伝わってきて、小さな手が離れていくのを止められなかった。
 坂口さんの手に触れたのはこれが初めてではないのに、こんなに胸が高鳴るなんて。
「ありがとう」
 ぎこちない笑顔を浮かべてそんなことを言わないで。こっちが無理を言って連れてきて押し付けたのに。
 本当はバレンタインデーもホワイトデーもただの口実。イベントに乗じていつも逃げてしまう坂口さんを無理やり捕まえた。謝るつもりはもちろんないけど。
「チョコ、来年は」
 坂口さんが不意に声を上げた。
「来年は、くれる?」
 最後まで言えなかった坂口さんの代わりに言うと、坂口さんはこくりと頷いた。それから何かに気づいたのか慌てて付け足した。
「や、やっぱりいらないよね、ごめん」
「いる」
 宗太郎、仏頂面のままそんなこと言っても、坂口さんは怖がるだけだと思うよ。
 来年。俺たちの気持ちをわかっているはずなのにわかっていないような言動をとる坂口さんはきっと、その一言がどれだけ嬉しいか知らない。坂口さんは来年も一緒にいてくれるつもりでいる。湧き上がるのは幸せな感情。
 チョコなんてくれなくてもいい。来年も傍にいてくれれば、それでいい。

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